2011年10月18日

狭いほうが、いい?

住宅援助を受けながら
住んでいる今の家は
2LDKの大きさ。

家を探していたころ
この家を見て
「狭い!」と思った。
大人3人で住むには
ぎりぎりの大きさ。

でも、当時は
自分の家に
「きくち体操愛好会」で
体操をするスペースと
カラーセラピーのための
セラピールームも
欲しかった。

前の5LDKの家では
専用の部屋を
持つことができた。

でも
家賃の手ごろな
この2LDKに
住むとしたら
徹底的に
家具を減らすしか
ないだろうと思った。

昼間は
旅館状態にして
私物は隠し
ほとんど
家具が何もない
ガランとした部屋に
できれば
何とかなるかも
しれないと思った。

家具をほとんど
置かずに暮らす。。。。
そんなことが
本当にできるんだろうか。。。
住み心地は
どうなるだろう?

私としては
一度も経験のない
挑戦だった。

家具って
本当は
なくていい?

最低限の家具って
なんだろう?

5LDKに
収まっていた私物を
どうやって
減らしたらいいのだろう?

2LDKの
収納場所は
たった二つの押入れだけ。

外に
物置はひとつあるが
ここに入れられるものは
野外で使うもの
くらいだろうし。

でも
もし、2LDKに住むのなら
その難しい挑戦を
するしかない。

もし、普通に
家具を運び込んだら
「こんな狭いところは
嫌だ」と感じてしまうだろう。

お金がないから
仕方ない?
でも、そう思って暮らすのは
つまらない。

どうせ
暮らすんだったら
「ここに住んで
よかった」と
思いたい。

家具を置かなければ
広くて
気持ちいいだろう。。。

断捨離を
思い切ってできる
またとない機会になる。。。

「家が狭くて
よかった。
おかげで
本格的に
断捨離ができた!
物のない快適な
生活を体験できる!」と
思いたい。


自信はないけど
やってみようか。。

いや
やるしかない!!





posted by 幸枝 at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月13日

生活保護課に通う私


それは、
こういう情報だった。

「平成19年以降に失業し、貯金残高が100万円以下、生活費が17万円以下の場合
求職活動を続けるという条件で家賃を6〜9ヶ月分支援、生活援助金を総額90万円まで無利子で貸付」




有難いことに
全ての条件に
当てはまった夫は
すぐに
申請することにした。

それにしても
役所に申請を出すのは
忍耐がいる。

こまごまと
書類を書かなければ
ならない。

何度も
通わなければ
ならない。

すぐには
申請許可が
おりない。


それでも
無事に通れば
助かる制度だから
頑張って
役所に通う。

忍耐力のテストみたいと
思うこともある。


そして、やっと
申請が通った報告を受けて
ほっとする。

国から住居費の
援助を受けられる期間は
6〜9カ月。

受けながらの
条件は
求職活動を
続けているという
報告を月に2回
かならず
役所に出向いてすること。

夫は仕事で
役所には通えなくて
代わりに
私が月、2回
役所へ報告書を
届けに行く。

夫は今は12万5千円の
給料をもらっているが
その収入では
家賃の援助なしでは
暮らしていけない。

国の援助を受けずに
くらせる額の収入を
得られる仕事を
探し続けると言う
条件をクリヤーしなければ
ならない。

それには
月17万円以上の
収入が得られる仕事に
就くことが
必要になる。

ハローワークに
仕事の帰りに寄り、
求職活動をしてくること、
そして
月に2回は
仕事探しのアクションを
必ず
起こすこと。

電話で相手に
アクセスしたり
履歴書を送ったり。
その報告を書類に書いて
毎月2回、提出する。

そういう報告を
もう、
4回はしているのだが

だんだんと
役所に行くことが
重たくなってきた。

最初は
感じなかったが
今は
気になることがある。

住宅手当を
支給してくれる部署が
「生活保護課」なのだ。

区役所の1階に
「生活保護課」がある。

区役所の正面玄関は
2階にある。
戸籍や住民票などの
申請はこの2階で
行われる。

2階から
暗めの階段を下りると
売店と食堂がある。

1階に行く人が
皆、生活保護課にいく
わけではないので
2階から
1階に下りる階段は
気が楽だ。

でも
1階に着き
生活保護課の前の
待合のイスに座っていると
人目が気になってしまう。

知ってる人にあったら
どうしよう?

生活保護を受けていると
思われて
相手は困惑して
しまうだろうか。

見てはいけないものを
見てしまったと
焦るだろうか。

援助を受けていることを
知られるのは
さほど
かまわないけれど
相手に
必要以上に
気を使われたら
かえって
シンドイなぁ。。。

まぁ、まだ一度も
そういう状況に
合ってはいないけれど。

勝手に想像して
勝手に心配している私。

引っ越して着てすぐは
ほとんど
気にならなかったのに

いろいろな
友達ができてくると
生活保護課の前では
友達に
会いたくないなぁと
思ってしまう私。

やっぱり
嫌なんだなぁ。

生活保護課が。。。

生活保護は
一時
必要なこともあるよ
と理屈でわかっても

心が古いイメージで
固まっているんだな。

生活保護は
恥ずかしいって。

我が家が受けているのは
生活保護では
ないのだけれど

生活保護課で
担当している制度だから
生活保護課に
通わなければ
ならないのだ。

あーあ
気が重い。

有難い援助なのだけど


気が重い。
posted by 幸枝 at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月12日

区役所で教えてもらったある情報

職業訓練は
応募さえすれば
誰でも受けられるとばかり
思っていた。

でも
試験を受けに行った夫は
「10倍くらいの
確率だった」と
帰ってくるなり
教えてくれた。

年齢層もばらばらで
若い人から
中年層まで
さまざま。

まるで
昨日まで
どこかの社長をしてような
雰囲気の人まで
いたらしい。

大変な
時代なんだなぁと
つくづく
思ったよ。

リストラ、
破産、
失業、
きっと
いろいろなドラマを
かかえて
いるんだろうね。

想像しただけでも
生きるって
辛いね、
シンドイね。。。て
ため息つきそうになる。

そうそう、
肝心の試験では
数学の2次方程式が
解けなかったと
言っていた。

何十年も
前のことだものね、
数学なんて
勉強してたのは。
忘れるよね。
方程式の解き方なんて。




試験が終わってから
数週間たって
結果が来たの。

夫の予想した通り
不合格。

あーあ、これで
月12万円の収入の
望みが消えたって
思ったわ。

それでも、
夫はあきらめずに
もう一度、応募した。、


今度は
しっかり
2次方程式を
勉強していった。

試験は
まあまあの出来だったと
行って帰ってきた。

それから待つこと数週間。

でも、この間
夫は求職活動を
いっさいしなかった。

わたしは
「まったく、もう!」と
心の中で
ブツブツ言っていた。


試験も受かるなんて
思っていなかったし。

だけど私にとっては
奇跡としか
思えない
念願の合格通知が
届いたんだ。



やった〜!!



わぁ〜、これで
半年間、食べていける!



夫は職業訓練が
始まると
毎日、
ほとんど休むことなく
通い続けた。

これでこそ、
いつもの夫だ!
って、私は思った。
やっと
むかしの
夫にもどってくれたって
思った。


職業訓練は
「リフォーム技術」という
勉強だった。


講義は
キャドなどもあり
パソコン好きの
夫には
とても楽しかったようで
そんな夫を見ていて
私もなんだか
嬉しかった。

でも実技は
体力的に
シンドそうだったなぁ。

疲れて帰ってきて
そんな時は
口数も少なかった。


いつ、辞める」って
言い出すかな。。。って
ドキドキしてた。

でも
なんとか
夫は頑張ってくれた。

そしてね
夫から聞いた話で
面白いなぁと
思ったのは
室内で
家をつくる実習。


土台作りから
壁塗り、
屋根づくりまで
一軒の家を
みんなで建てる。

そして
完成したら
壊して終了。

まるで
大きなプラモデル
みたいだなぁと
思った。

夫にとっては
新しい体験ばかり。
いろいろ学んで
6か月の職業訓練は
無事に終わった。

予想通り
就職には
職業訓練を
活かすことは
できなかったけど
私は満足していた。

だって
夫は
すっかり
自信を取りもどして
元気だったころの
夫に戻っていたのだもの。


私が職業訓練校に
期待していたものを
夫は受けとったと
思えたの。


だけど喜びもつかの間、
新たな受難が待っていた。

それは
訓練校の卒業と同時に
今まで
住んでいた家を
でなければ
ならなくなったこと。

今まで
住んでいた
5LDKの家の家賃を
払い続けることは
無理になっていた。




そもそも、
なんでこの大きな家に
住んでいたかというと

2年前、夫が無職のときに
借りられる家がなくて
(定職がない人に
家を貸してくれる
ところはめったにない)
困った私は
入っていた保険を
全部解約して
通帳に
まとまったお金を
必死に用意した。





そして
その通帳をコピーして
不動産屋さんに持って行った。

保証人もいなかったから
保証会社の審査も受けた。

保証会社の審査が通ったら
2年分の家賃の
ストックだけで
(定職がなくても)
家を貸してくれる
家主さんが見つかった。

そういうわけだから
私たちが住む家は
選べる状況じゃ
なかったんだ。



でも
私たちに
家を貸してくれるという
家主さんが現れた時は
本当に嬉しかった。

それが
5LDKの
大きな家だったんだ。


一番、お金のないときに
一番、大きな家に
住むことになった。

ちょっと
皮肉な気もするが
こう家に
住めたことは
ありがたかった。

大きな家にいると
自分たちが
お金に
不自由していることを
忘れられた。





なんだか
とっても
リッチな気分になって
たとえ
食事のおかずが
少しくらい足りなくても
気にならなかった。

庭があったので
家庭菜園も出来た。
新鮮な野菜を
毎日の食卓に
載せることもできた。

住む家って
精神的に
すごく
影響するんだなぁって
実感したよ。

大きな気持のよい家で、
お金がなくて
シンドイ時を
過ごせたことは
幸せだった。

心がみじめに
ならずにいられたもの。

明日の食費にも
困る時でもね。

お芋料理ばかり
食べていたことも
あったよ。

長女が
働いていたのが
お芋農家で、
売りに出せない
B級品のお芋を
無料でわけてくれたの。

B級品といっても
そのお芋は
テレビが
取材に来たくらい
甘くて美味しい
じゃがいもだった。

そのお芋が
冷蔵庫に
いっぱい入っていると
安心したっけ。

買い物に
行くお金がなくても
お芋を食べていれば
空腹はしのげるって。


そんな食生活でも
楽しめた大きな家を
出ていかなければ
ならなくなったとき
悲しかったな。

でも
もっと
悲しかったのは
今度こそ、
住む家みつからないかも
しれない現実だった。



不動産屋さんに
相談しても
「家賃の3倍の
定期収入がないと
家賃を払い続けることが
困難」と判断されると
言われたの。

2年前と違って
今度は
崩せる保険ももうなかった。

2年分の家賃のストックを
条件に、家を借りる方法も
とれなかった。

いくら家賃の
安い家でも
定職のない人間に
家を
貸してくれるところは
ほとんどなかった。





困り切った私は
どうすることも
できなくて
最後の手段として
区役所に相談してみたの。

そして
そこで聞いたことは
今まで、
全く聞いたこともない
情報だった。


posted by 幸枝 at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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